『稲村ヶ崎』富士山や江の島、伊豆半島や大島まで見渡せる、鎌倉の景勝地!

『稲村ヶ崎』富士山や江の島、伊豆半島や大島まで見渡せる、鎌倉の景勝地!
稲村ヶ崎からの写真


稲村ヶ崎は鎌倉の由比ヶ浜と七里ヶ浜の間にある岬で、万葉集にも詠われた古来よりの景勝地です。

岬の西側は鎌倉海浜公園として整備され、海越しに富士山や江の島、伊豆半島や大島を見ることができます。
丘状になっているので、芝生に座り景色を見ながらくつろげます。
上空からはトンビが狙っているので、食事などはやめておいたほうがいいでしょう。

1990年に公開された桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』は1965年の稲村ヶ崎が舞台でした。
サーフィンのメッカとして、海には波のいい時にはサーファーが集まります。
浜は砂鉄が含まれるため黒っぽい砂が特徴で、古代には製鉄が行われていたと考えられています。
2002年までは海水浴場としても使用されていましたが、砂の流出で海水浴場は開設されなくなりました。

公園には『真白き富士の根』の歌で知られる1910年の悲しい出来事、逗子開成中学校ボート部七里ヶ浜沖遭難事件の慰霊碑や、静養で訪れ稲村ヶ崎からの光景に感動した世界的細菌学者、ローベルト・コッホ博士の来日を記念して、弟子の北里柴三郎博士と鎌倉市関係者により建立された記念碑があります。

1934年(昭和9年)、『稲村ヶ崎(新田義貞徒渉伝説地)』として国の史跡にも指定されています。
鎌倉時代末期の1333年(元弘3年)5月、新田義貞が鎌倉に攻め入るため稲村ヶ崎を越えようとしましたが、波打ち際は切り立った崖で軍勢は足止めされました。
義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると潮が引き干潟になり、新田軍は勝利を確信して鎌倉に攻め入ったことが『太平記』に記されています。

文部省唱歌『鎌倉』の一番に「七里ガ浜のいそ伝い、稲村ケ崎、名将の剣投ぜし古戦場。」という歌詞があります。
私もですが、神奈川県で小学生だった人は遠足で歌った思い出もあるのではないでしょうか。

1928年(昭和3年)、後の国道134号のために稲村ヶ崎の丘陵を分断し切り通しが開かれ、現在は内陸側は住宅地になっています。
公園から見る、日が沈んだ後の夕暮れ時のオレンジ色の海と空、富士山のシルエットと134号線を走る車のテールライトがキレイです。

「かながわの景勝50選」


【アクセス】

江ノ島電鉄稲村ヶ崎駅から徒歩5分。

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